旅はことば探しの
最適なアクション

世界を想う

旅は非日常。心が開放される。固まっていた心がやわらかく解きほぐされる。

自由に手足を伸ばす。無理にしゃべることもなく、空気と一体化するのを楽しむ。

旅先は、意識、無意識を遊べる格好の場所だ。ことば探しは見える世界だけでなく、見えない世界も生み出さないといけない。自分を信じ・期待し、生まれてくるのを待つのもまた仕事のひとつだ。それには旅が最適だ。

旅にでるきっかけはあってもなくてもいい。

例えば、ワタシ26歳だった。パリのサンジェリーゼ通りの端に立った。

当時読んでいた「かのこ繚乱」(瀬戸内寂聴作)のなかで、岡本かの子の夫が浮気していて、かのこは裸電球の下で息子の岡本太郎を抱きしめて「サンジェリーゼ通りを2人で闊歩しようね」と語りかけるシーンがあった。パリにのシャンゼリーゼ通りに何があって、一人の作家の心をとりこにしたんだろう。自分の目で確かめたかった。その1フレーズをもとに、パリへ向かった。

当時ワタシは結婚に迷っていた。確かに結婚を考える恋をしていたかもしれない。幸せな時間も嫉妬に狂った時もあった。おいしいワインをおしゃれな表参道のバーで乾杯もした。そこには弾むようなことばがあふれていた。ことばに形がみえるときもあった。ワタシが希望したカルチェの3連リングなど、手に取って慈しみたくなるものだってあった。だからといって恋に恋していただけの恋だったから、そのまま結婚へつながっているとは思えなかった。

渦に巻き込まれた。もつれてしまった後悔に地団駄を踏んだ。誰にも見えない心の葛藤を解決するには旅しかなかった。

飛行機が成田空港から日本の地を飛び立った瞬間、心の呪縛から解放された。何を悩み、悲しんでいたんだろうか。新しい世界が意識にくっきり浮き上がってきた。「勝手にしやがれ」(監督・脚本はジャン=リュック・ゴダール、出演はジャン=ポール・ベルモンドとジーン・セバーグなど。)の映画のなかに感じた自由なパリの空気を意識で遊んだ。「道」(イタリアの巨匠フェデリコ・フェリーニの代表作のひとつで、旅回りの芸人たちの悲哀を描いている)のザンパノ(役名)の裏切りとジェルソミーナ(役名)切なさに気が遠くなりながら、一人でこれからどこへ向かおうとしているのか、自分を問いただした。

「どこにも行かない、ここにいる」とワタシ。確かにそうだよなあ。わかるよ、と自分にいいながら、でもワタシはパリへ向かった。

思いもつかないことばが湧き上がってくる瞬間がある。何かアクションを起こすことで、ずっと無意識の世に潜んでいたことばが「こんにちは」とやってくる。始まる。心を見つめる旅が。

あなたの心にも、旅の予感が湧き上がっているかもしれない。