提案をする= 課題の
責任を引き受ける

ワタシ流

いまも提案案件を抱えている。以前のハードスケジュールの中でプレゼン・コンペに参加していたときの追いかけられるような緊迫感はないが、いまは自分ができること、スタッフの黒田知子&ワタシタチの仲間と共にできる内容かどうかしっかりと向き合って判断し、着手するようにしている。

今回の課題は「商品が売れなくなった!」「なぜ?」「どうすればいい?」

まずはいままでの精査をする。クリエイティブ表現にはセオリーがあって、それに照らし合わせてみると課題はすぐわかる。同じクリエーターとして

「どうして、やらない」「なぜ、スポンサー様に言わない」など、さまざまな疑問が瞬間で湧き上がってくる。

たまたま見たものは、表現したクリエーターの「愛情」のかけらも感じられないものだった。これは現実の世界なんだろうかと言葉をなくし、じっと見入ってしまった。それしか方法がなかったのかもしれないから、多くのことは語れない。

もしかして以前の超うるさいワタシだったら「よっしゃ、ここを突いてプレゼンしよう!」と思ったものだが、いまはスタッフの黒田と共に、丁寧にこなすことに重きを置いているので、きちんきちんと作る。

どういうものかというと「お金のかけ方を説明し、できることをあらかじめ伝える」「ギミックに遊びすぎて、本当かもしれないけど、嘘かもしれないのは提案しない」「きれいに見えても、デザインにも間違いがあること」「ネット上の施策はプロでないと見えてこないことがある」

など語りかけるような提案書に変わった、というか変えた。

ネットの時代の「いま」を生き抜く若手の考えは、ほーっ、そんな考えもできるんだと感心・納得することが多い。

そんな、こんなで、売れない現実を見せつけられると、切ないな、と胸が締め付けられる。

提案そのものは、さまざまな施策の集合体だ。座組みもいるプロジェクトだ。

ただ、なぜそこまでしか表現できなくて、売れないクリエイティブをしてしまったのか、その理由はほぼわかっている。頭を垂れると涙が床にぽたりと落ちる。行き場を失った悲しみがぐしゃぐしゃな心の中を駆け巡る。

仕方ないのかもしれないが、でもワタシ&ワタシタチは思う。嫌われたって、うるさい奴だと思われたって、事実をきちんと伝える勇気をもって、仕事とは向き合うべきだ、と。それだけ、ミッションの責任を引き受けたということだから。