情報は入れておくと
次々につながる。

世界を想う

情報にさらされているワタシ&ワタシタチ。知らなくてもいいことが自然と入ってくる。

その一方で、なるほどとうなづける記事も飛び込んでくる。情報が多すぎて頭の中はゴミだらけともいうらしいが。

そういうなかでワタシがコンテンツ制作をしていてありがたいなと思うことに、ゴミかもしれない情報が頭の片隅に残っていると、それに関連することがつながっていって、理解を深めやすいという効果がある。いまは知らないと恥づかしいSDGsの考えも10数年前のカカオ豆のニュースからだった。

カカオ豆で作られるチョコレートはおいしい。日本にいると普通にいつでも手に入る。しかしカカオ豆の生産地で児童就労問題が起きていることを知って、おいしいチョコレートがまずいわけではないが、子供たちのことが頭をよぎると、自分だけおいしい幸せに浸ることに罪悪感を持った。

それをきっかけに、世界の貧困・困難な情報が広告としてワタシのパソコンにバンバンはいってくるようになった。悲し気な子供の目は切なさを通りこして、何とかならないもんだろうか、と机の前で考え込んでしまうことも多い。何もできない自分にジレンマさえ起こった。ただ、そこからSDGsを知り、できることからやってみようと小さな寄付を始めた。さらに企画のベースにSDGsを意識するようになった。

さらに、さらに、そこから日本の寄付文化のことが気になった。もっと調べてみないとわからないが、日本の寄付文化は人々に浸透しているようには感じない。世界からみると寄付に対する考えがまだまだ低いらしい。ワタシでも「寄付をする」という行動は相手を見下しているような錯覚もあって、普通にできない自分を戒めることが多い。

そんな思いを持ちながら、日常の仕事にギフトカタログがあって、そのなかに「寄付する」商品があった。正直驚いた。礼節の挨拶やありがとうの気持ちを伝えるコミュニケーションツールのひとつにあるギフトで「貧困の子供たちに寄付ができること」に。

赤い羽根募金も24時間TVもふるさと納税もラウドファンディングも…寄付の一環のイベントだ。コンビニの店頭にもお釣銭を入れるケースが置いてある。「寄付」ということにあまり深く考えすぎず、日常の風景にしてしまうことが必要なんだろうな。(このことはまた別の日に)

ゴールの見えない情報収集もある。それはワタシ&ワタシタチのクリエイティブ人生に無駄を作らない。