ダダイスムの世界に
未来を見て、いま。

JAPAN

言葉と向き合っていると言葉そのものを壊したくなります。でもそれはやってはいけないことなんだよね。きちん、きちんと正しい日本語を使いこなすことが大人になることだと学んだ私は、自分の考えを心に閉じ込めたまま大人になっていきました。そんな私が高橋新吉の「皿」の詩を知った時、心の底から笑いがこみ上げてきました。なあんだ、言葉は壊していいんだということを知った瞬間でした。

あとから「皿」はダダイスム(※)というあらゆる既成概念を破壊した芸術運動の中で始まった表現方法のひとつだと知りました。

でも、です。自由な表現のようで、そこにはまたひとつの芸術運動という既成概念が存在していました。ま、そりゃあそうかもしれませんね。規制がなくなったら、とりとめのないものになります。だったら既成概念を破壊するとはいったい何なんだろう・・・アホな私がさらに何がなんだかわからない状態になった瞬間でもあります。が、ま、いいさ、というわけのわからない納得をするようになったきっかけでもあります。この世に正解は自分の心の中にしかないということなんでしょうね。

皿 高橋新吉
(「「一九二一年集」49」)
皿皿皿皿皿皿皿皿皿皿皿皿皿皿皿皿皿皿皿皿
倦怠
額に蚯蚓(みみず)匍う情熱
白米色のエプロンで
皿を拭くな
鼻の巣の黒い女
其処(そこ)にも諧謔が燻すぶつてゐる
人生を水に溶かせ
冷めたシチユウの鍋に
退屈が浮く
皿を割れ
皿を割れば
倦怠の響が出る
詩集『ダダイスト新吉の詩』より

高橋新吉を知ってから怒涛のように詩を読んでいきました。既成概念の向こう側で言葉は輝きを増していきました。そこから言葉と戯れるコピーライターにむかっていきました。

※ダダイスムは、第一次世界大戦中の1916年、スイス・チューリッヒで起こった芸術運動です。